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歯科放浪記1
歯科放浪記1

こんにちは。法経出版社長の、家賃です。

価格0円のハウツーシリーズをダウンロードに来られたかと思います。現在あるのは「実質0円で、歯医者に行かずに、自分の歯を維持する方法」のみですが、年末以降には、「見れば必ず税金が取り戻せる、誰でも5分で書ける確定申告書」を出します。

 

「歯医者に行かずに歯を維持する方法」の、「実質0円」というのは、「百均で5本100円で売ってる歯ブラシ」と「歯間ブラシ」があれば、追加の出費は無い」ということです。

 

「見れば必ず税金が取り戻せる、誰でも5分で書ける確定申告書」を読むべき方は、「給与明細に税金の天引きが載っているのに、年末調整をしてもらっていない」方です。バイト、非正規、または「直近5年の間に職に就いていない期間がある人」が対象です。

たった一枚の紙を書いて出すだけで、「指定口座に入金され」たり、「最寄りの郵便局で現金化できる為替が送られてきたり」します。

 

確定申告の「更生の請求」は、5年間さかのぼって、できます。5年以内に年末調整を受けていない年がある人は、まとめて申告しましょう。

 

0円シリーズは、社長の「家賃」が書いています。「報酬は無いけど、原稿書いて」と言って、他人に原稿を書いてもらえるほど世の中甘くないし、社長は、「法(法律)」と「経(経済)」に強いだけでなく、健康保険制度を含む医療、特に歯科にもとても詳しいのです。「自分の知識の中で、多くの方々が困っていそうで、すぐ役に立ちそうなものは~」と考えて、まず二つのテーマのものを、出版することにしました。

 

よろしければ、法経出版について、ちょっと紹介させてください。

 

1.法経出版は、労働者のための出版社です。

 

法経出版は「労働者」を、「報酬以上の価値の仕事をしている人」と定義します。例えば、日本郵政には、「元公務員」と「民営化してからの社員」「非正規雇用の人」などが入り乱れているようですが、年間給与700万円の「元公務員」が、年間給与300万円の「民営化してからの社員」「非正規雇用」と同じ仕事をしている場合、もしくは「誰の役にも立たない存在である場合」、当社はその「元公務員」を、「労働者」とは認めません。なぜなら、「労働」とは、「報酬以上の価値の仕事をすること」であって、逆であれば、それは「労働」ではないからです。「労働」とは逆の、「地位という利権による他者からの収奪」ということになるからです。

 

バイト、パート、派遣、等の立場であれば、誰であろうと、「労働者」に違いありません。なぜなら、「報酬以上の価値の仕事をしない」のに、「雇われたままでいられる」わけがないからです。なので、「すべての労働者の味方」のつもりである法経出版としては、「理不尽に奪われた税金を取り戻させてあげたい」と、なるわけです。

 

では、専業主婦や子供や学生は労働者になり得ないか、というと、それは違うと思います。例えば、「私の生活費」と、「私の、家族を支える労働」を比べると、明らかに労働が生活費(報酬)を上回っています。「家賃」の息子達は、長男は10歳ころから、次男は6歳ころから、「報酬以上の価値の仕事をすること」という定義において、労働者です。1人当たり「MAX1万円くらいの食費」と「平均月3000円はかかってないだろう」という衣料費で、かなりの家事労働をしてきたからです。

 

私の息子達は、法経出版の出版物が読めるくらいの年には、すでに労働者になっていたということです。

 

大学院生になると忙しいので、普通は、家事をしなくなります。その間は、息子達も「休業中」になり、学費が親の持ち出しになるかと思われました。しかし、大学院生は、成績が良ければ誰でも奨学金が借りられ、かつ、優秀と認められれば半額免除くらいにはなるものです。息子達からの、「今までの借りの蓄積」を考えると、まあ、「幼児期の分が貸しかも。それも危ないかな」というくらいです。最近は、「誰のおかげで、この世に存在してるのかなあ~~~」と、作ってやったことを恩に着せてます。

 

ところで、私は、数年前から、子供たちに家事を頼むときには、自然と敬語になっています。生活費の給付以上に働かせているのがわかってるので、ついつい卑屈になるわけです。「数年後には大学院を出てガバガバ稼ぐようになるわけで、もう自分らの時給をそのくらいに考えてるんだろうなあ」と思うと、「お茶くみ」などそうそう頼めません。

 

私など、我が子に家事を頼むのにすら、「給付が労働より少ない」からと腰が引けてきたというのに、赤の他人からタダでカネを貰って養われておいて、「オマエ達が働いて稼いだカネをもっとオレ達に寄こせ」とデモをしている人達って、ほんと何なんですかね、と思います。

 

なので、私の家庭では、息子達が「真っ当な労働者」になった頃から、親子の立場は対等です。むしろ、「中学を出れば外でも働いて生きていけるから、逃げられないようにしよう」と思っていたくらいです。私の家庭では、「働きもしない者に発言を許す」ことも無ければ、「働いているのに立場が弱い」ということもありません。息子達は、物心ついた頃から、親と対等な「労働者としての立場と意見」を持っています。

 

法経出版は、左翼ではないので、「可哀そうな人を救うべき」と絶叫しながら「自分は1円も出さずにブランドに囲まれて豪邸にお住まい」だとか、「可哀想な人たちをネタに巨額の募金を集め、その可哀想な人たちには砂糖水を配り、大量にピンハネしたカネで超豪華セレブ生活を楽しむ」とか、そういう人達とは無縁です。

 

「我々は労働者の味方」と言いながら、自分の子にはいっさい仕事をさせず、「他人の子供を蹴散らして一段でも上に行けと塾に通わせ、やがては労働者を搾取する巨大な公共機構のどこかに潜り込ませようと図る」とか、そういう人達とも無縁です。

 

ちなみに、「可哀そうな人を救うべきと絶叫し、大量にピンハネしたカネで超豪華セレブ生活を楽しむ人達」に簡単に騙されるのが、後で書く、「社会がどうあるべきか」の御高説を披露したがる、「あんた何様?」の方々です。

 

自分が「あまりにつまんない人で何もない」ところに、「意識が高い」という、「カスでもタダで自尊心を得られる」逃げ道があれば、行きたくなるのはわかりますが、見ると不愉快です。誰だって、気持ち悪いものを見たくありませんよね。他人に迷惑をかけないところで狂っていてほしいです。

 

実際には搾取者でしかなかった「左翼」の人達が、長年、「労働者の味方」を自称していたために、「労働者」と言うだけで、「左翼用語だ」と誤解されがちですが、法経出版は、はっきりと反共です。

 

社長の「家賃」はかつて、「日本の家賃水準は資本主義の需給原理から見ておかしい。下がらないのはなぜか」と考え、「労働者を貧困にしている家賃水準を下げたい」「判決がひとつ出れば変わるはずだ」と、延々裁判をしていたことがありましたが、その時も、「左翼」と誤解されることが多くて、悔しかったです。

 

ちなみに、裁判の結果、「家賃」自身の住居の賃料は少し下がりましたが、「判例を作り全国の賃貸住宅を正常取引で有り得る家賃まで下げる」という目論見が成功する判決は出ませんでした。けれども、その後、私の努力とは全く何の関係もなく、世間の家賃相場はけっこう下がったように思えます。元々供給過多だったので当然です。資本主義の原理通りならば、もっと早く下がるはずだったのです。

 

「不動産価格が大幅に下落した上に供給過多という状況なのに家賃相場が下がらないのは何故か」というところから法解釈を疑った、というのが、私が、「過去の判例を誤りだとする判決が出れば状況が変わるのでは」と考えた原点でした。私の裁判は、「物件の需給の反映が賃料の上昇面だけってどういう資本主義よ、弱者を守る目的の特別法が反弱者に適用されてるって何よ」という話でした。

 

賃料に関しては、私の裁判よりずっと前に、最高裁で「法解釈から見て完全におかしな判決」が出ていたのに、つまり、私の主張を否定する判決がすでに出ていたのに、最高裁に行くまでは、私はそのことに気が付いていませんでした。マスコミでもそこそこ騒がれた「サブリース関連の紛争」が、自分の裁判と同意義のものだと気がついたのは、最高裁に行ってからです。

 

その最高裁では、判事5人が「4対1」に分かれたということになっていましたが、中身を見ると、法解釈においての対立は「3対2」で、この、「2」の方の方々が、当該法に対し、私と同じ見方をされていました。私は、この「2」の方々や自分の解釈が正しいと今でも思っていますが、多数決で重要なのは人数です。共産主義の歴史を見てもわかる通り、「誰が力を得るか勝つか」が重要で、「正義だの何だのはオマケの要素」に過ぎません。

 

例えば、「やたらと法知識を振りかざしやがって、外から来たくせに。いちいちムカつく。オマエの言うことを通してたら、今までの俺たちの立場が無くなるんだよ。オマエの好きにはならないと示してやる」という動機で、5人の中の3人が心を一つにすれば、「正しい法解釈」になど、何の力もないということです。

 

馬鹿じゃなければ、その意見の解釈の方が正しいとわかる、判決に「反対意見」を付けた判事氏は、さぞ悔しかっただろうなあ、と思います。その時すでに御高齢で、その後退官されているので、「本当は僕が正しいのに」と思いながら寿命が来ちゃうんだろうなあ、と思うと、気の毒ですが、まあ世の中なんて、そんなものです。

 

ソ連なんて、革命後に将軍の大半が死刑になったらしいです。きっと「僕は反革命なんかじゃない」と絶叫した事でしょう。社会なんてそんなものなので、自然の寿命まで生きられれば、まあ良しとすべきです。

 

社会とか正義とか、真剣に考える方と碌なことはありません。自分自身の蓄財とか権力闘争の事を考えて生きる方が、絶対、健康にいいです。自分のためだけにやっていることなら、「どう考えても自分の方が正義なのに、理屈で考えてくれさえすれば他の人にもわかるはずなのに、否定され」て、「何故だ!」みたいな、辛いこともないからです。

 

何故だもクソも派閥を持ってなかったからでしょ、マスコミにコネもなかったからでしょ、法なんてそんなもんよ、というのが世の中というものです。

 

なので、裁判に勝った負けたと沸騰している人は馬鹿だと思います。共産国に行けば、法とか正義とかそんな甘い考えはすぐに吹っ飛びますし、吹っ飛ぶまで生きていられればいいくらいだし、裁判やっても殺されないだけ日本はマシです。

 

裁判をする前には、実は私にも「左翼は変な人達ではあるけど、弱者の味方に違いない」という思い込みがあり、彼らを悪くは思っていませんでした。けれども、実際に接した左翼の人達は、「この人達って、派手なこと、公金の予算引っ張れること、楽しく遊べること以外には、興味ないよね」「集団の中の自分の居場所のためにやってるだけだよね」という感想しか持てないもので、「一応は弱者の味方のつもりなのではないか」というのが、幻想だったとわかりました。

 

家賃裁判をやったことにより、「裁判所=法の正義を追究するところ」とか「左翼=弱者の味方という正義感はある」という思い込みが粉砕されて、社会というものをより知った私は、「思い込みのイメージって全く当てにならないな」と考えるようになりました。「思い込みに左右されず、物事をありのまま見る」「現場にいる当時者の視点にしか、価値は無い」というように考え方を変えた結果、私は、「労働者の敵=左翼」と考えるようになりました。

 

現実社会のすべての事象をそのまま見ると、現代では、労働者の敵=左翼という定義が正しいとしか考えられないはずです。

 

自分が本当に「労働」をしていて、「左翼」が労働者の味方だと思っている人なんて、まだ存在するのでしょうか。ありのままの社会を見てください。「地位という利権による他者からの収奪」をしているのは、左翼の人達ではないでしょうか。でなければ、「仲間と歌い踊り政治運動を楽しむ左翼が税金を6億円貰える」わけがないと思いませんか。「天下りというシステムを使って仲間に巨額の税金を横流し、つまりは公金横領をした」人が、「文科省のトップかつ左翼」なわけがないと思いませんか。

 

左翼が日本の、公金予算分配の利権を持っていると考えなければ、理屈が合いません。

 

「アベが~」と言われている「アベ」にも、選挙で毎回多数を取る「自民党」にも、たいした力は無く、「公金を自分達のものにできる権力を独占しているのは左翼」だ、というのが、真実なのではないでしょうか。社会で、働きもせずに高給を取れる特等席を占めている人達のほとんどが、「組合」とか「団体」の、左翼の人達です。日本では、左翼独占権力が「体制そのもの」であり、アベも自民党が多数を占める国会も、その左翼独占利権の上にちょこんと載っている帽子のようなものなのだ、と、私は思います。

 

なので、当社は、「反共」かつ「反体制」であり、今後、その思想に沿った出版物を出していく予定です。

 

2.法経出版は、自分の立場を自分の言葉で語る著者の本のみを出版します。

 

著者が実際に自分で経験した事の無いこと、著者が実際に自分で会ったことの無い人、について語られた本は、法経出版には無いということです。

 

著者が書いたとしても、編集がバッサリ削除します。「アベ」に会ったことがない人、実際に話したことのない人の、「アベが~」は、許されないということですね。

 

だって、考えてもみてください。「アベに会ったことがない」という点でも、「ニュースソースがマスコミしかない」という点でも、著者とアナタの条件が同じならば、「アベについて」は、アナタが勝手に考える事です。自分と同じ程度の知識しかない赤の他人に説教されるのは、非常に不愉快なことです。

 

「御高説を披露したいのならキャバクラでカネ払ってやってくれ」って感じです。そういう人に対しては、「あんた何様?」というのが、普通の反応ではないでしょうか。

 

誰もが知ってるマスコミネタから、弱い脳味噌で考えた事を、「自分の優れた頭脳で考えた御高説は他人に聞かせる価値がある」と信じ込んでいる人達って、頭湧いてますよね。

 

他人に自分の説を聞かせる価値があると思うほど、自分が賢く魅力的かどうか、自分自身の状況を見ればわかりそうなものなのに、と思いませんか。私はそういう人のツイートを見かけると、「次は宇宙の真理について語り出すんだろうな」と思います。

 

「頭が湧いている」のが、いけないということではありません。例え狂人の書くこと言うことでも、「本人が実際に体験したこと」ならば、たいていは面白いのです。正直、私は、半分狂ってる人って、かなり好きなので、そういう人に著者になっていただきたいと思っています。

 

3、法経出版は、理論の正しさを標榜し、すべての差別に反対します。

 

「すべての差別に反対」と言うと、左翼の標語のようですが、現実には、「差別」を社会に強制しまくっているのは、左翼の人達です。

 

わかりやすい例で、黒人と白人に例えます。大学が「白人と同じスコアなのに、黒人だから不合格にする」のは、「差別」です。それは、誰でも「そうだろ」と、思うことですよね。

 

そして普通に考えれば、「黒人と同じスコアなのに、白人だから不合格」も、差別です。けれども、左翼は、「この場合は差別ではない」と主張します。逆に、「黒人と同じスコアなのに、白人だから不合格」という「差別」を認めないことを、「差別」と呼びます。

 

理論的に、完全に、おかしいです。主語の色が入れ替わるだけで、正しかったり、正しくなかったりする理論など、地球上に存在しません。第一、「白と黒が入れ替わったら、話が変わる」こと、それこそを「差別」というのです。

 

「その人が誰であるかで対応を変えるという行為」が、「差別」の定義です。「差別」という言葉の、左翼的用法を認めるならば、言葉自体の定義を変えなければならなくなります。

 

そして、「この場合は、白人じゃなく黒人だから話が違って当然」とする理屈を、「差別の正当化」というのです。それが、言葉の定義どおりの運用です。

 

法経出版では、著作物から「正しくない理論」を排除し、正義、公平を重んじます。当然の結果として、すべての差別も排除されます。

 

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